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伊那市ゆかりの教育者「伊澤修二」

更新日:2014年10月1日

伊澤修二先生の写真
伊澤修二先生

 伊那市出身の伊澤修二(いさわしゅうじ)は、東京音楽学校(現・東京藝術大学)初代校長を務めたほか、台湾での植民地教育や楽石社を結成しての吃音矯正に尽力しました。

 伊那市は、修二の功績を讃え、そして修二の顕彰をするため、生家の保存や東京藝術大学との連携による伊澤修二記念音楽祭(および関連事業)を毎年実施しています。

伊那市高遠町地域に残る伊澤修二生家

 高遠の地に唯一残る下級武士住宅で、文化財施設として公開されています。

東京藝術大学との連携により実施する伊澤修二記念音楽祭

 伊澤修二が東京音楽学校(現・東京藝術大学)の初代校長を務めたことを縁に、昭和62年、東京藝術大学創立100周年を記念して開催されました。以来毎年実施されています。
 現在は音楽祭のほか、東京藝術大学の学生を講師に迎えて器楽や合唱の講習会が開催されるなど、広がりを見せています。

略歴

嘉永4年(1851)高遠藩士伊澤文谷の長男として生れる。藩校進徳館で学ぶ。
明治3年(1870)大学南校(現東京大学の前身)の貢進生に選ばれた。
同7年愛知師範学校長に抜擢された。
同8年アメリカに派遣され、ブリッジウォーター師範学校、ハーバード大学で教育学、理化学などを修めた。
この間メーソンから音楽を、グラハム・ベルから視話法を学んだ。
明治11年帰国し、12年3月東京師範学校長になる。
同10月音楽取調べ掛に任命され、教員養成、体育、音楽、盲唖教育など未開拓の分野を精力的に開拓した。
とくにメーソンを招いて近代音楽の確立につとめる。
明治14年には「小学唱歌集」初編を編集発行して音楽教育の方向を定めた。
19年に文部省編集局長として教科書検定制度を作り、安くて模範的な教科書の編修出版を手がけた。
文部省では文部大臣森有礼の知遇を受けて教育制度の改革に尽くした。
明治21年東京音楽学校初代校長となる。
明治28年日清戦争直後の台湾に渡り、民生局学務部長として教育制度、学校教育の基礎を作った。
明治30年職を辞任した後、貴族院議員となる。
32年東京高等師範学校長となったが翌年病気のため辞職した。
36年「樂石社」をおこして吃音矯正の社会事業に着手し、吃音に悩む多くの人を救済した。
晩年は国語問題にも関心を持ち、日本語、中国語の発音の研究に尽くし、漢字の発音の統一を念願したが志半ばで大正6年(1917)急逝した。

著書

「生種原始論」(進化論の最初の訳本)「教授真法」「教育学」「学校管理法」「支那語正音発微」など。

関連リンク

お問い合わせ

伊那市役所 教育委員会 生涯学習課 生涯学習・文化財係
電話:0265-78-4111(内線2721 2723)
ファクス:0265-72-4142

sgs@inacity.jp

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