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仙丈小屋のあの晩

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更新日:2015年10月1日

 伊那市長 白鳥 孝

 平成16年(2004)に収入役として伊那市にお世話になり、途中で制度変更から副市長に名前が変わり、それから市長になり、通算すると行政の世界に入ってもう12年になります。市民の皆さんと直接お会いして進める基礎的自治体、いわゆる行政の仕組みはなかなか複雑なところがあります。保健・福祉・医療・環境・子育て・教育・文化・農業・林業・工業・商業・観光などに加えて、上下水道やごみ・税・消防・危機管理・・・と、すべてについての業務があります。加えて長野県、国の出先機関や中央省庁の霞が関とも調整をしたり要請をしたりと、それぞれの組織を尊重し、枠を越え過ぎないよう、また手順を間違えないように、多角的に多岐にわたる調整や気配りの手法が求められます。これは100年以上も前から築かれてきた、いわゆる「お役所の掟」ともいえるものでしょうか。そうしたなか、決して壊すことのできないこの岩盤のような掟が、ある年のある晩、南アルプスは3,000mの山小屋で破ってしまう出来事がありました。
 私は長く山登りをしています。冬山や岩登りなど本格的な登山を始めてから40数年にもなります。主なフィールドは南アルプスと中央アルプスです。行政に入ってからはなかなか山に行く機会はありませんが、それでも年に数回は登っています。なかでも仙丈ヶ岳は好きな山で、北沢峠からの一般登山道や地蔵尾根のクラッシックなルートから、あるいは三峰川を遡行したり、岳沢や三軒岩小屋沢のような沢を登ったりしていました。ところが私が市役所にお世話になる頃の12年ほど前から、仙丈ヶ岳周辺で気になっていることがありました。高山植物がないのです。花の仙丈と呼ばれていたお花畑がどこかにいってしまったのです。原因はニホンジカによる食害でした。かつてシナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンフウロ、タカネグンナイフウロ、キバナノコマノツメ、ハクサンチドリ、クロユリ、クルマユリなどが群れて揺れていた光景がまったく消えてしまっているのです。「大滝ノ頭」の5合目直下にあったキバナアツモリソウの貴重種も影も形もありません。お花畑はまるできれいに、しっかり手入れのされたゴルフ場のように変わってしまいました。
 収入役当時の平成18年(2006)、職員と一緒にその対策に乗り出しました。現状の調査に加え、環境省や林野庁、長野県林務部、環境部などに出向いて現状を訴えました。何とか早く手を打ちましょう。ニホンジカから高山植物を守りましょう。と何度か足を運びましたが、「現状は承知している。対策を検討している。」と話は一向に先に進みません。これもそれぞれに立場があってのこと、仕方がないことです。こうなったら伊那市単独で取り組むしかないと考えましたが、まずは冷静に、最初の一歩からと、国・県・関係自治体などでニホンジカ被害の情報を共有し、高山植物を保護するための対策と行動ができる組織をつくることにしました。それが「南アルプス食害対策協議会」です。平成19年(2007)9月6日、中部森林管理局南信森林管理署、信州大学農学部、長野県林務部森林整備課・環境部自然保護課、諏訪・上伊那・下伊那地方事務所、飯田市、伊那市、富士見町、大鹿村で構成され、会長には小坂伊那市長(当時)が就きました。
 それからニホンジカという大型獣を、国立公園内および南アルプス周辺で大量に捕殺する計画ですから、日本最大の自然保護団体である(財)日本自然保護協会へ相談に行きました。数回の訪問の後、貴重な高山植物を保護するための行動であり、あまりにも増えすぎたニホンジカの適正な個体調整であることの理解を得ることができました。当時のT理事長は伊那市出身で、T理事長からは、渋谷の松濤にある(財)自然保護助成基金を紹介していただきました。この財団は国外・国内問わず、自然環境の保全保護のための助成をする組織です。たまたまここの理事のなかに私の山仲間がいたため、O理事長(当時)はじめ、何人かに南アルプスへのニホンジカ対策への資金提供、つまり助成をお願いしました。その甲斐あってか平成20年(2008)には、4,110,000円もの助成金を認めていただきました。当面の資金の目途は取り敢えず立ちました。さあ、それからです。具体的な行動が始まりました。4月18日(金曜日)に第1回の幹事会が、5月に第2回の幹事会、6月には南アルプス食害対策協議会の総会を開き、その年の事業計画と予算が承認されたのです。予算額は(財)自然保護助成基金から支援していただいた4,110,000円、事業計画は(1)シンポジウムの開催、(2)信州大学への調査委託、(3)防護柵を設置するための資材購入、(4)関係者による現地調査などです。そして7月には南アルプス仙丈ヶ岳の馬ノ背周辺の現地調査が始まりました。7月6日(日曜日)・7日(月曜日)梅雨の晴れ間の天気にも助けられて、環境省、林野庁、長野県、信州大学、南アルプス食害対策協議会のメンバー約30名が現状をつぶさに確認する作業でした。実はこの現地調査では伊那市からそれぞれの組織に注文を出していました。それは「必ず現地で決裁のできる人に参加して欲しい」というものです。それというのも役所という組織は、国・県・市町村を問わず、検討と調査は行うものの、結論に至るには大変な時間を要する陋習があるからです。普段なかなか交流のない組織の人間が、現地においていくつかの課題が出たとしても、「持ち帰って検討します」、「上司に報告します」と、いつもの杓子定規ではまずいと考えたからです。多少のことは現地で決める。そうしないとニホンジカの食害は減らず、際限なく続いていってしまいます。
 夕方、馬ノ背ヒュッテ周辺から馬ノ背にかけて1日の作業が終了し、仙丈ヶ岳直下にある仙丈小屋に集まりました。小屋の2階でそれぞれの組織から詳細な報告がされました。新聞社も多く参加してメモをとっています。1時間30分ほどの会議の内容は、ニホンジカの食害は想像以上に深刻であり、早急な対策をしなければならないというものと、そのためにはネット等による防護柵の設置が必要であること、そしてその時期は遅くても来年には始めようというものです。防護柵の設置場所を確定したり、資材の準備とヘリコプターによる荷揚げ、ボランティアや作業者の手配、そしてなにより国立公園内での初めての作業のために複雑な許認可が発生することなど前途は多難です。防護柵の設置場所は、林野庁・南アルプス食害対策協議会が担当する区域と、環境省が担当する区域に分けられました。
 会議が終わり、「さあー、ビールだ、夕食だ」とみんなで1階の食堂に集まりました。環境省と林野庁の職員が山小屋で一緒に飲むことはめったにないことです。私たちもこのようなことがなければ、国・県・大学のみなさんとワイワイと飲むことありません。食堂では管理人のMさんが美味しいつまみを用意しおいてくれ、雪渓で冷やしておいた持ち上げたビールで乾杯です。ビールから日本酒に、それから焼酎とウィスキーに変わると、同じ目的で山に来て汗をかいた仲間たち同志、和気藹々と省庁の壁も溝もなく歓談しています。とてもいい光景です。
 すると突然、環境省箱根自然環境事務所長のSさんが立ち上がりこう言いました。「防護柵は来年じゃあなくて、今年のうちに張れないでしょうか。来年になればニホンジカによる食圧がさらに進み、高山植物の復活が遅れると思うんです。」普段から口数の少ないSさんが、静かに話し始めたのでみなさん驚きました。私も少し酔っていましたが、もしそのようなことができれば凄いことだ。けれども省庁も違えば、立場も異なる。果たしてできるだろうか?ましてや夏山シーズンは始まり、もう1ヶ月もすれば山には秋風が吹き始めます。時間もなければハードルが高すぎます。しかしSさんは「やりましょう。今年のうちにみんなでネットを張りましょう!」と熱く語ります。みなさん酔っていたせいでしょうか、「そうだ、やろう!」、「今年のうちにやっちゃおう」と賛同の声が上がり出しました。お酒の勢いもあります。そのうちに環境省はこれ、森林管理署はここ、伊那市はそこ、と各組織の役割分担の話まで出しました。
 詳細測量、防護柵の資材手配、許認可申請等は林野庁南信森林管理署が、難しい国立公園内の複雑な許認可については環境省が、関係機関の調整と進捗管理、ボランティアの確保、資材運搬のヘリコプター手配は南アルプス食害対策協議会の事務局を担う伊那市が行うことなど、瞬く間に決まっていきました。そして、防護柵設置作業は、今日から丁度1ヶ月後の8月7日(木曜日)とすることになりました。加えて、許認可には時間がかかるので、各省庁とも持ち回り決裁とすること、さらに書類上の多少の瑕疵は目をつむり、ともかく1ヶ月後にはここにいるメンバー全員が必ずここに来て、みんなで防護柵設置の作業が実施できるようにすること。と大変な決定がされたのです。
 こうした重要なことが決められたのも、各省庁の組織からは「必ず現地で決裁のできる人をあげて欲しい」とお願いをしておいたからに他なりません。食害の現地を自分の目で確かめる、いわゆる「現場主義」があり、その現場の惨状が予想以上であって、なりゆきで決まったとはいえ、「年内に防護柵を設置する」結論に至ったわけです。通常、国・県・市町村が関わる案件ではあり得ない結論です。ましてや今回は2つの省庁が関わっている上に大学まで入っているわけです。お役所の掟を無視した、というか新たなスタイルを築いた歴史的な「仙丈小屋でのあの晩」のできごとです。
 この話にはまだ続きがありました。その晩、仙丈小屋での宴は、塩辛、塩イカ、キューリと味噌、ピーナッツ、漬物ありの大宴会になり、みなさん遅くに布団に入ったのです。そして翌日、みなさん二日酔いの目をこすりながら食堂に集まり、朝食を食べ始めた時のことです。あのSさんが再び立ち上がりました。「おはようございます。ところで、みなさん昨日のことは覚えていますよね。」と真顔で切り出したのです。「あの話は酒の席のことではないですよ」と。恐れ入りました。「食事が終わったら、昨日の決定事項の確認をしますので集まってください」
 こうして全国でも稀な、省庁の枠を越えて協働して取り組む、南アルプスの3,000mにおける防護柵設置作業が始まったのです。

「清流」 まほら伊那市民大学 平成26年度修了記念文集 掲載

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