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養蚕の記憶

ページID:150762948

更新日:2017年10月2日

 伊那市長 白鳥 孝

 幼い頃と言っても、保育園児だった頃の話です。
我が家では毎年「お蚕様」を飼っていました。春蚕・夏蚕・秋蚕・晩秋と年に4回ほど掃きたてていた記憶があります。年によっては晩晩秋があったこともありました。50数年も前の記憶ですから、どれほど正確かわかりませんが、我が家の生活を支えてくれていた「お蚕様」のこととして覚えている場面、光景を思い出してみます。
夜寝ていると枕元で「さわさわ」と桑を食べる蚕の音が聞こえてきます。夥しい数の蚕ですから、「さわさわ」が「ざわざわ」になったり、急に聞こえなくなったり、静かな騒がしさです。時期になると家の中の部屋という部屋はお蚕様に占領されます。部屋だけでなく、縁側や居間、玄関の三和土などあらゆるところがお蚕様の居場所です。祖母や両親はいったいどこで寝ていたのかわかりません。昔のことでしたから、ほとんど寝ずに蚕の世話としていたのかもしれません。
風呂場の脱衣場で寝ている小さな私を不憫に思ったのか、ある年からお蚕様のシーズンが始まると南箕輪の親戚に預けられることになりました。ボンネット型の伊那バスに乗って一人で3才の子供が南箕輪村南殿の「泉橋」バス停まで行きました。両親は朝から晩まで蚕で忙しいので、たった一人で西箕輪の我が家から出かけました。祖母が近くのバス停まで送ってきてくれ、バスの乗客に「すみませんが、この子は南箕輪の南殿まで行くので、伊那町の乗り換えのときに面倒をみてやってください」と頼んでいます。ダンボール紙には「白鳥孝。南箕輪の南殿 泉橋まで行きます」と書かれたものを首からぶらさげていました。絶対に落としてはいけないと言われたお金をしっかり握り、バスに乗せられると一層心細くなったものです。
西箕輪から伊那町まで来ると祖母から頼まれた乗客は、私の手を引いて辰野行きか伊那松島行きの伊那バス本線のお客さんを探し、「この子を南箕輪の南殿泉橋で下ろしてやってください」と話してくれます。しっかりと握っているお金のなかから乗車料金を払って「このお金をなくしてはだめだよ」と残りのお金をポケットにいれてくれます。まったく見ず知らずの人たちのお陰で3才の子どもがバスの旅をしていたのです。「僕は小さいのにえらいね」なんて言われたのかもしれません。きっと口元をキッと結び、手には汗をかきながらバスに乗っていたことでしょう。
 当時はどこの家でも農家はお蚕様を飼っていました。畑には桑が植えられ、朝早くから桑摘みをし、耕運機に山ほど積んで運んでいました。お蚕様は戦後から昭和30年代頃まで全盛期でした。お陰で年に何度か現金収入があったわけです。「天」の「虫」と書いて蚕というように、尊い虫として大切にされていました。どの集落にも「蚕玉様」と彫られた丸い石碑があって、人々は「どうか無事にお蚕様が育ちますように」と拝んでいたのです。
正月には「繭玉」を作ってヤナギの枝にいくつもぶら下げたり、2月には「蚕玉様」を祀る行事があったり、一年が終わると感謝のお祭りがあったりと、蚕をともに暮らしていたのです。
 貧しくとも人々の情けや共助の溢れていた時代です。

「清流」 まほら伊那市民大学 平成27年度修了記念文集 掲載

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