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ふたたび飯田線

ページID:823850496

更新日:2014年10月1日

 伊那市長 白鳥孝

 昨年の3月24日、数人の仲間と飯田線豊橋駅から伊那北駅まで、早春の伊那谷を走るローカル線の旅を楽しみました。全長約200キロメートルで駅の数が94と多く、およそ2キロメートルにひとつの駅があることになります。止まっている時間と走っている時間が同じと揶揄される所以です。また出馬(いずんま)、向市場(むかいちば)、大嵐(おおぞれ)、鶯巣(うぐす)、為栗(してぐり)、温田(ぬくた)、駄科(だしな)、鼎(かなえ)などと駅名にも難解のものも多く、普通電車でおよそ6時間もかかる飯田線にもかかわらず、飽きることなく車窓の風景や見どころの多い魅力的なローカル線です。昨年はお酒を楽しみながらの春まだ浅い伊那路の鉄道の旅でしたが、その後仲間が集まるたびに、「また行こう」、「季節を変えて行きたい」となり、ふたたび飯田線の旅に出かけることになりました。
 今回の旅の仲間は12人に増えました。第一陣は前夜に豊橋まで行って泊り、翌朝に下りの列車に乗ります。第二陣は天竜峡まで車で送ってもらい、そこから中部天竜行きに乗り、第一陣と合流するパーティーです。私は後者の天竜峡駅からの、朝から乾杯組です。
 今回の旅の目的は事前の勉強会で、大きく3つに絞られました。佐久間ダム見学、飯田線に駅弁を復活させる、そして下山ダッシュ?です。
 まず、中部天竜駅で第一陣と合流してタクシーで佐久間ダムに向かいます。昭和28年に着工し、たった3年後の昭和31年に竣工した「佐久間ダム」は狭隘な渓谷にあり、さながら要塞のようです。戦後の電力不足を補うための水力発電は、佐久間発電所と新豊根発電所のふたつの発電所で、147万5,000kwの電気を生み出し、堤高155.5m、堤頂長293.5mの巨大なダムは、同時に暴れ天竜を治めることになりました。さらに愛知県の上水道や灌漑用水の供給も行い、まさに巨大な多目的ダムです。しかし短期間に完成を見た重力式コンクリートダム工事では96名もの殉職者を出し、後の日本における工事現場での安全管理対策へとつながっていったと言われます。また佐久間ダム建設によって、飯田線は一部水没し、大嵐駅と佐久間駅間が、東へ大きく迂回するルートに付け替えられたのも特徴です。
 目的のひとつ「駅弁」は、事前勉強会の酒席で生まれました。飯田線の主要駅にはかつて、立ち食いそば屋やキオスクの売店が普通にあって、駅弁も売られていました。勉強会ではひょんなことから「消えて久しい駅弁を復活させよう」となりました。さっそく気の置けない日本料理屋の仲間へ頼み、またセンスのいいデザインをする仲間に弁当の包装紙のデザインを頼みました。弁当の中身は、ワカサギの甘露煮(諏訪)、ローサイ、伊那ギョーザ、ソースかつ丼(伊那・駒ヶ根)、馬さがり焼き(飯島)、ごぼとん(松川)、信州名物の塩いか、信濃ゆきますの塩焼き、さつまいも煮、しま瓜の味噌漬け、竜峡小梅、それにおいなりさん(豊川)です。たった一日だけの駅弁の復活でしたが、飯田線沿線を代表する「食」に主眼を置いた気の利いた弁当です。ふたを開けた参加者一同「ふむー、さすがだ」、「よく考えている」、「素敵なデザインだ」と感心することしきりです。
 中部天竜を12時50分の普通電車「上諏訪行き」に乗り、さっそく駅弁を頬張り、ビール、日本酒の楽しい旅の再開です。城西駅と向市場の間には、鉄道マニアには有名な「第六水窪川橋梁」、通称「渡らずの橋」があります。皇太子妃雅子様と、かわいらしい木造駅舎で知られる「小和田(こわだ)駅」、秘境駅の人気者「田本(たもと)駅」は、コンクリートの壁と狭いプラットホームだけの、民家も道路も何もない、どうしてここが駅なのかと訝しがるような駅です。秘境駅はまだまだあります。中井侍・為栗・門島・唐笠・金野・千代などが有名な秘境駅です。というより、天竜峡より南の駅はすべての駅が秘境駅の趣です。
 さて、もうひとつの目的「下山ダッシュ」は、今回のメインイベントです。簡単に言うと下山村駅を降りて、5つ先の伊那上郷駅まで電車より早く走り(ダッシュ)、同じ電車に乗ろうとする疲れる遊びです。飯田線沿線には、中央アルプスから急峻な渓流が天竜川に何本も注いでいます。飯田松川、片桐松川、与田切川、中田切川、太田切川などです。「田切」は滾るに由来するとも、田んぼを切込んで流れるからとも言われています。こうした河岸段丘地形では、直線的に鉄橋をかけようとすると鉄橋は長くなり、それに伴って橋脚は高く、橋脚本数も多くなります。飯田線はこうした田切地形を回避するために、いったん上流側に線路を迂回させ最短で渡河しています。線路が大きく円を描くその形状から、Ω(オメガ)カーブと呼ばれています。田切駅と伊那福岡駅間のΩカーブが有名ですが、さらに大きなΩカーブが、飯田松川を大きく迂回する、下山村(しもやまむら)駅~伊那上郷(いなかみさと)駅間です。下山村駅の次は鼎駅、切石駅、飯田駅、桜町駅そして伊那上郷駅と続きます。この間の普通列車の乗車時間は通常でおよそ16分、たまたま私達の乗った「列車番号519M」普通電車上諏訪行きは、飯田駅で待ち合わせのため9分停車するため、ダッシュ制限時間は24分と若干余裕がある電車です。この「下山ダッシュ」は、下山村駅で降りて、列車より先に伊那上郷駅まで走って、また同じ電車に乗るわけですから挑戦者は真剣です。しかも下山村駅の標高が427m、伊那上郷駅の標高が500mと、2kmの距離にあって73m登らなければならない標高差です。首尾よく間に合って乗れたからどうということはないのですし、馬鹿らしいと言えば確かにアホらしいとも言えるのですが、飯田線をこよなく愛する人々にとっては、一度はチャレンジしたいまじめな遊びでもあるのです。
 下山村駅から伊那上郷駅まで走る距離は約2キロメートル(徒歩では間に合いません)、その間には、3つほどの信号機を通過しなければなりません。すべての信号機が運悪く赤だと大きなロスになります。信号無視はもちろんご法度です。「下山ダッシュ」は何度も曲がり角を通ります。一本ルートを誤ると致命的、アウトです。しかもほとんどが登りで、年齢とともに、そして日頃の生活のだらしなさとともに「下山ダッシュ」はきつくなります。実は私は当初、まるで走る気はなく、電車の居残り組みとしてお酒を飲んでいました。ところが下山村駅手前で、ダッシュ組の「エイエイオー!」の掛け声につられ、思わず発作的に降りてしまったのです。
 14時32分に下山村駅を下車。列車に残る仲間の見送りももどかしく、さあダッシュです。新飯田橋の信号機を過ぎ飯田松川を渡り、東中央通りを右折します。9名のグループは長く伸び、私は後ろから3番目、先頭からは大きく離されてしまいました。野底川の橋を渡ると今度は左折です。ここからは魔の長い登り坂が続きます。後悔先に立たずとはよく言ったものです。なんで降りてしまったのか。まさに後悔です。息は切れ、顎はあがり、心臓は踊りまくります。瀬口脳神経外科病院の丸い建物を左に見ながら、何かあったらここだなと、ひたすら走ります。
 最終交差点を左折した先に、飯田線が見えてきました。残り時間7分。どうにか間に合いそうです。伊那上郷駅に全員が到着したのが14時50分です。9人の参加者は若者と変に元気な親父を除き、みなさん声もなく「はーはー、ぜーぜー」、ひたすら汗を拭いています。ベンチに座り首をうなだれて息をととのえ「ハーハー」、汗を拭きながら空を見上げると、青い空に積雲が浮かんでいます。
 14時55分、「列車番号519M」上諏訪行きは、伊那上郷駅に時間通り入ってきました。電車の居残り組も、下山ダッシュ組も、全員安堵の表情です。それにしても疲れながらも楽しい経験でした。ドカッと椅子に座り、下車駅の伊那北駅に向います。だれも缶ビール、日本酒、ハイボールには手を出しません。残っていた駅弁に箸も進まず、ひたすら「○~い、お茶」や「○ントリー烏龍茶」ばかり飲んでいます。駒ヶ根駅あたりを過ぎると、伊那に「帰ってきた」感が増してきます。伊那谷の開豁で、のびやかな景観や、風が渡る田園とアルプスの遠望が窓越しに見えてきます。伊那谷はつくづく良い所だと思うのです。飯田線は本当に楽しい電車だと思うのです。伊那北駅に近づく頃は、誰からともなく次の飯田線企画の声が聞こえてきました。

「清流」 まほら伊那市民大学 平成24年度修了記念文集 掲載

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