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黒部の怪

ページID:447632274

更新日:2023年3月22日


周辺図

 伊那市長 白鳥 孝

 35年間、ずっと気になっていた出来事がありました。北アルプスで起きたその出来事は、同行したO君もH君も私も、あの日のあの恐ろしい場面が何だったのか、ずっと頭から離れないまま今日まで続いていました。舞台は北アルプス深奥の黒部。私たちの他に誰ひとりいない隔絶された8月下旬、三俣みつまた蓮華れんげたけから高瀬川たかせがわ源流に下った樅沢で起きました。源流のイワナ釣りに夢中になって、そろそろ納竿のうかんしようとしたときです。辺りは暗くなり四囲の原生林はますます黒く、源流の瀬音は逆巻き、異界いかい幽冥ゆうめいに入ってしまったかのような錯覚に包まれた時、突然襲ってきた恐怖は阿鼻叫喚あびきょうかんの世界でした。

 源流のイワナ釣りを趣味としてきた私は、北海道日高・大雪山系、本州は新潟の出川いでがわ水系の渓流や飯豊いいで連峰の久和くわがわ、北アルプスの黒部川源流、南アルプスの大井川源流の赤石沢・奥西河内や南部のリンチョウ・逆河内さかさごうち・信濃俣・遠山川、そして地元三峰川源流などイワナを求めて遡行してきました。そのようななか40年ほど前に、古い文献で遠山品とおやましな衛門もんのことを知り、品右衛門がイワナを放した秘密の沢が黒部の源流にあり、そのイワナを「品右衛門イワナ」と言うくだりを目にしたことがありました。それでは、現地に行ってその「品右衛門イワナ」を確認しなければならないと、秘密の沢を探しに山行を計画しました。

 遠山品右衛門は1851年(嘉永4年)に安曇郡野口村(現在の大町市)に生まれた山案内人・漁師・猟師です。夏は黒部谷、針ノ木谷、高瀬川一帯を縄張りにイワナを求め、冬は高瀬・槍・白馬をテリトリーとして熊やカモシカを追う、まさに「黒部の主」、「高瀬の主」として知られた人物でした。1920年(大正9年)に没するまで生涯を山で過ごしました。その品右衛門が、標高2,300mの黒部川源流の祖父沢じいさわあたりでイワナを釣って、生かしたまま北アルプスを越えて、高瀬川源流の沢に放流したのが「品右衛門イワナ」です。なぜイワナを放したのか?推測できる搬送ルートはどこだろうか。興味は尽きませんでした。
 まず放流の動機として考えられることは、品右衛門しか知らない秘密の「隠し沢」を設けようとしたのではないかと思います。当時、黒部川や高瀬川一帯にイワナを求め、生業としていた人間は、品右衛門以外にもいたわけで、安定した漁場を確保する必要がありました。そのため、本来はイワナが生息しないとされるイワナ留めの滝上に放流したり、誰も知らない「隠し沢」を何本かつくったものと考えられます。

 高瀬川は槍ヶ岳(3,190m)や双六すごろくだけ(2,860m)、三俣蓮華岳(2,841m)、野口五郎のぐちごろうだけ(2,924m)などの山々から水を集め、大町市に流れ下ります。途中日本有数のロックフィルダムの高瀬ダムや七倉ダム、大町ダムが発電や洪水調整のために造られました。千丈沢と天上沢が水俣川となり、高瀬川に合流するあたりには湯俣ゆまた温泉おんせんがあり、近くには天然記念物の高さ2mほどのふんとうきゅうが湧き出しています。この高瀬川は活火山の硫黄岳(2,554m)を擁しているため湯俣温泉より上流には、イワナどころか水生昆虫などの生物は一切生息していない、荒涼とした渓相を呈しています。硫黄沢の合流する辺りは、草木も生えず、黄色く赤くむき出しになった山肌からは噴煙が何か所も立ち上っています。ところが硫黄沢を過ぎて暫く遡行すると、源流部で漢字の樅沢とカタカナのモミ沢が出合います。沢が鉱毒に汚染されていないことを確認した品右衛門は、ここを「隠し沢」に選び、北アルプスの脊梁を越えて黒部源流からイワナを運んで放したものと考えられます。

 次に品右衛門はどこから、どのようなルートを経て、黒部川の祖父沢あたりのイワナを北アルプスの稜線を越えて高瀬川源流まで運んできたのか?現地で地形を見て、また1/2.5万地形図から推測してみます。黒部川のイワナの生息限界は標高2,300mと言われ、自然界では本州で最も標高の高いところにいるイワナです。品右衛門はその黒部川源流のイワナを、三俣蓮華岳(2,841m)を越え、三俣峠(2,750m)を通り、稜線の反対側の高瀬川源流の樅沢に放したものと推察できます。おそらく気温の低い時期、イワナを生かしながら大急ぎで山を越えたことと思います。毎年何度か繰り返しながら運んだことでしょう。これが古い文献に見た「品右衛門イワナ」です。

 「品右衛門イワナ」を求めて初めて高瀬川源流を目指したのは、1986年(昭和61年)7月のことでした。山岳会の仲間6人と七倉ダム、高瀬ダム、湯俣温泉まで林道を辿り、ここから渡渉を繰り返し、ほとんど壊れかけた吊り橋を渡り、高瀬川を遡行していきました。この山行は途中、左岸から合流するワリモ沢の少し上流の赤沢あたりで引き返しました。理由は天気の急変でした。今まで晴れていた天気は突然の豪雨に変わり、高瀬川はみるみる増水して支流からは土石流が発生しだし、大きな岩が濁流のなかでぶつかり青白い不気味な光を放って、まさにおどろおどろしい世界のなかに私たちは閉じ込められてしまいました。この山行では結局、目的地には到達できず、うのていで辛うじて生還することができました。

 次は翌年の8月、同じ山岳会の仲間3人と同じルートから入渓しましたが、やはり荒天に阻まれ失敗。その年の9月、ふたたび高瀬川源流の「品右衛門イワナ」を求めて、今度はからめから登山ルートを選びました。岐阜県の新穂高温泉から小池新道を登り、鏡平山荘を経て双六岳、三俣蓮華岳のコースです。三俣蓮華岳への巻き道から高瀬川の源流に下降し、ようやく「品右衛門イワナ」に会えたわけです。あのおぞましい出来事はこの時に起きました。

 やはり鉱毒の流入していない源流の樅沢は、イワナが黒く群れをなして、次々に足にぶつかってくるような情景でした。ところが夢中になって釣っていると辺りが突然暗くなり、冷たい風が吹き下ろしてきました。H君は私より下流50mほどのところで釣っていました。何となく嫌な予感がしたので、H君に「おーい、テントに戻ろう」と声をかけた時です。コメツガ、トウヒ、シラビソの原生林の上の方から、突然「ガラガラ、ガラガラ」と岩が落ちてくる音が聞こえました。落石だなと対岸に避難しようとすると、「ドッカン、ドッカン、ドスン、ドスン」とさらに大きな岩がいくつも落ちて、私たちのところに迫ってくるようです。H君に「逃げろー、逃げろー、早く逃げろ~」と叫び、ホイッスルを吹き続け、私は河原の大岩の裏に逃げ込みました。状況はすぐそこまで迫るいわ雪崩なだれのようで、もうダメかと観念したとき、辺りは急に静かになりました。小石ひとつ、大きな岩も何も落ちてくることはなく、全く何事もなかったかのように静寂に包まれたのです。H君も青ざめてボー然と立ち尽くしています。あとで聞くと、私のわずか上流にいたO君は、そんな音は何にも聞こえなかったと言います。まったく狐につままれたかのような、北アルプスの深奥で起きた出来事です。いったいあの音の正体は何なのか?

 この不思議な出来事の謎が解明できたのは、3年前に読んだ伊藤正一いとうしょういち著「黒部の山賊」の単行本でした。副題に「アルプスの怪」とあります。伊藤正一氏は、戦時中ジェットエンジン(ターボ)の研究をしていた理系の人で、終戦後まもなく黒部源流の三俣蓮華小屋を取得し山小屋経営に乗り出しました。まだ登山道すら判然としない頃の北アルプス黒部の黎明期のことです。伊藤氏はその後、山賊と呼ばれた遠山とおやま富士ふじ遠山とおやまりんぺいおにくぼ善一郎ぜんいちろう倉繁くらしげかつ太郎たろうなどの漁師・猟師数人との奇妙な交友がはじまりました。「黒部の山賊」は生涯にわたり黒部で過ごした伊藤正一氏のユーモア溢れる山岳書として纏められています。本は第一章「山賊たちとの出会い」、第二章「山賊との奇妙な生活」などから、第六章「山小屋生活あれこれ」、第七章「その後の山賊たち」で構成され、なかでも第四章「山のバケモノたち」は、摩訶不思議な本当にあった話が語られています。そのなかの一部に「巧みな狸の擬音」がありますので少し紹介します。『ときには、タヌキはとても大きな音を出すことがある。冬のあいだ、雪の下積みになっていた材木を、雪が融けてから片づけに行った私たちは、「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と家をゆすぶるほどの大きな音を出している。ときどき部屋の壁板になにかがぶつかって、壁が破れるかと思われるほどだった。』とある。

 また、同じく第4章の「山賊たちと狸」にも『私は山賊たちのこんな話を聞いても、まんざら嘘だとは思えなくなった。少なくとも狸がいろいろな擬音を出すことは事実である。そしていまではこの点に関するかぎり、私と話が合うのは山賊たちだけである。林平の話した「嵐の音」や「雨の音」、富士弥の言う「ノコギリの音」や「大木を倒す音」、私の聞いた「セメントをねる音」「材木をころがす音」、あるいは昔からよく言われている「米をとぐ音」や「こんばんわゴンベエサン」という声など、いずれもどこか共通した感じの音であり、狸はこの種の音を出すのが得意なのではないだろうか。』

 伊藤正一氏の著書「黒部の山賊」の舞台は、黒部川源流と高瀬川源流、そして金木戸川源流の奥黒部です。まさに私たちの経験したあの出来事の場所に符合するわけです。きっと私たちも黒部の狸に脅かされたのだと謎解きができても、やはりあの日の恐怖は今でも記憶に鮮明に残っているのも事実です。

「やますそ」 伊那市高遠町婦人会 第66号文集 掲載

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