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飯田線にのって

更新日:2014年10月1日

 伊那市長 白鳥 孝
 このところ飯田線の各駅を無人化にするという寂しい新聞記事がかまびすしいのに比べ、今から100年ほど前は、伊那電気軌道の開通に伊那谷の住民は沸きあがり、快哉の声をあげていたのです。現在の飯田線は明治42年(1909)に辰野-伊那松島間が、電気軌道として開通し、辰野から徐々に南に向かって延びてきました。明治45年(1912)には伊那北駅が開業、さらに大正元年(1913)に伊那北-伊那町(現:伊那市)間が開業しました。一昨年はちょうど開業から100年の節目にあたる伊那北駅で、地域の子どもたちや住民のみなさんが中心となって、記念すべき年のお祝いをし、昨年は伊那市駅で、商工会議所や地元商店街、伊那中学校の生徒らが大々的に祝賀の式をしたのです。今年2013年は、伊那町(現:伊那市)-宮田間が開業100周年ですので、何らかの記念行事が企画されているかもしれません。
 飯田線は、伊那谷の発展に大きく寄与してきました。沿線には家々が建ち並び、商店街が発達し、そして工場が建設されてきました。伊那谷の発展は、飯田線の延伸とともに歩んできたと言っていいでしょう。しかし、昭和40年代からのモータリーゼーションは、鉄道の利用数を次第に落とし、ダイヤの本数も車両の数もいつのまにか減っていたのです。それでも、かつて学生の頃には、飯田線に乗って豊橋まで行き、京都へ修学旅行に行った記憶もあり、「当時は大垣行きの急行列車もあったよね」、「新宿から23時50分発の急行アルプスに乗って帰郷したこともあった」なんて会話を懐かしがる年代も多いはずです。
 飯田線100年にまつわる話を何回かしているうちに、市役所の職員やマスコミの仲間と、「飯田線に乗って旅をしてみない?」、「始発から終点まで、お酒とつまみを買い込んで、まだ春の早い候にみんなで行こうよ」となりました。飯田線はここ数年「秘境駅ブーム」が続いています。何もない、誰もいない駅を訪ねて、観光客が押し寄せる現象が続いています。「何もない駅、そこは・・・飯田線・秘境駅」なんていうパンフレットもあります。飯田線沿線マップなどというしろものも出てきました。それではと、秘境駅を訪ねて、暖かな愛知の一足早い菜の花やサクラ・ウメを車窓から楽しみながら、そして「為栗」・「鶯巣」・「出馬」などの難解な駅名に苦しみながら、「飯田線で伊那へ春を運んでこようツアー」を企画したのです。
 3月24日(土曜)、総勢8人のツアー隊は、息子と親戚の甥の2台の車で豊橋駅まで運んでもらいました。飯田線始発は、豊橋発9時38分の鈍行です。途中駅には駅弁もアルコールもジュースも買うところはありませんから、旅行用のコロコロのついた旅行バッグとクーラーボックスに、つまみ・アルコールを詰め込んでの出発です。途中豊川駅で降りて、豊川稲荷に旅の安全を祈ってお参りです。豊川10時55分の上諏訪行きに乗って、本格的な旅の始まり始まりです。
 意外にも列車は乗客で一杯です。若い人、年配の夫婦、学生らしきグループと、とても缶ビールを開けるような雰囲気ではありません。車窓の風景を見ながら、サトミズキの黄色い花や白いモクレンを眺めながら、長山(ながやま)、新城(しんしろ)、大海(おおみ)、長篠城(ながしのじょう)と進みます。若い車掌さんに訊ねました。「いつもこんなに飯田線にはお客さんが乗っているのですか?」との質問に、「最近は、秘境ブームで結構多いのですが、本長篠(ほんながしの)あたりからは乗客はいなくなると思いますよ。」と期待を持たせます。
 本長篠で、遅れている上り列車を待っている間、乗客はホームに出て早春の風景を楽しんでいるようですが、乗客は一向に減りません。私たちも缶ビールを片手にホームで「乾杯!」です。サクラがちらほらと咲き始め、記念写真を撮ろうとしていると、若い車掌さんが「撮りましょうか?」と親切に声をかけてくれました。JR東海のサービスは、なかなかいいね。気持ちのいい旅になったねと、みなさん明るい笑顔です。
 一枚岩を流れる板敷(いたじき)川(がわ)の景観を右に見ながら、飯田線は谷あいを進みます。ウメの古木が多く、白い花が春を伝えます。車内までウメの香りが届いてきそうです。東栄(とうえい)からは、豊川水系から天竜川水系に変わりました。中部天竜(ちゅうぶてんりゅう)、佐久間(さくま)を過ぎると、今回どうしても見たかった旅の目的のひとつ、「渡らずの橋」にかかります。城西(しろにし)駅と向市場(むかいちば)駅の間にあるこの橋は、天竜川左岸から右岸に渡る飯田線最長の橋で、長さは400mあります。右岸に渡って、どこかの駅に止まるかと思うと、そのまま左岸に戻ってしまいます。これは、近くにある中央構造線の軟弱な地盤を巧妙に避けているようで、昔の技術者の知識の豊富さに驚かされます。水窪(みさくぼ)、大嵐(おおぞれ)に止まり、皇太子妃雅子様で有名になった小和田(こわだ)で可愛らしい木造の駅舎を見て、中井侍(なかいさむらい)、鶯巣(うぐす)、為栗(してぐり)、温田(ぬくた)、田本(たもと)、門島(かどしま)、唐笠(からかさ)、金野(きんの)、千代(ちよ)と、難しい駅名をクイズしながら走ります。田本駅は、山側に狭いホームがあるだけで、民家はどこにもありません。しかもホームはコンクリートの急斜面にくっついているだけの、まさに究極の秘境駅です。天竜峡(てんりゅうきょう)には14時13分に着きました。始発駅豊橋を出てからもう5時間近くなります。
 アルコールは思ったほど減っていきません。理由は2両の列車の乗客が多く、気楽に騒げないからです。数えると1両に25人乗っています。他の車両に行って数えると、こちらも27人乗っています。運転席の横からは乗客からも前方が見えるようになっていて、始発からここに陣取っている若者が一人、きっと熱烈な鉄道ファンなのでしょう。豊川からずっと立ったままです。
天竜峡からは川路(かわじ)、時又(ときまた)、駄科(だしな)、鼎(かなえ)、切石駅(きりいし)と馴染みの名前の駅名が出てきました。いよいよ飯田駅に到着です。飯田線は、山峡の趣から、明るい開豁な伊那谷の風景に変わってきました。風越山(かざこしやま)が独特の山容で迎えてくれます。飯田あたりは、まだサクラの蕾みは硬く、ようやくウメがほころびだした季節です。
 いよいよ、今回の飯田線の旅のなかでもうひとつの見所、目的のひとつ、Ω(オメガ)カーブが登場します。伊那谷は中央アルプスから急峻な河川が何本も流れ下っています。与田切川、中田切川、太田切川、犬田切川、小田切川など、文字どおり「田んぼを切って流れ下る」ような河川が多くあります。こうした地形は高い鉄橋を架けて川を渡るか、一旦大きく川の上流側に線路を振って小さく橋をかけるかしなければなりません。例えば、田切駅と伊那福岡駅との間は、中田切川を渡るために線路は一端西へ大きく上り、与田切川を渡ってから再び大きく東へ下ってしばらくして小町屋駅となります。このように円を描くように、線路がギリシャ文字のΩ(オメガ)のような形となっているために、Ωカーブと呼ばれています。伊那谷独特の線路工事です。Ωカーブは、切石駅と飯田駅間にもあり、切石で万が一乗り遅れた乗客は、飯田松川を短絡して走り飯田駅に行けば、列車に間に合うと言われているくらいです。
 さらに列車は北に向います。小町屋(こまちや)からは、赤穂高校の生徒でしょうか、若者たちが乗り込んできました。そろそろアルコールは控えなければなりません。駒ヶ根を過ぎて太田切川を渡り、宮田駅を見送ると、いよいよ最後の見所、目的が待っています。旧国鉄の線路で一番勾配のきつい、日本中で最も急な坂となっている場所です。赤木駅と沢渡駅の間がその場所です。「鉄っちゃん」と呼ばれる熱烈な鉄道ファンには有名なポイントですが、一般には知られていません。勾配は1000m行って40m下る(上る)というほどの傾斜です。運転席横の窓から見える前方の坂は、確かに急な傾斜で怖いくらいです。豊川からずっと立ちっぱなしの若者も、ここはチェックポイントらしく、運転席横に陣取って盛んにシャッターを切っていました。
 伊那市駅には、16時44分に着きました。ツアー隊のメンバーはみんな満足そうな顔をしています。コロコロのついた旅行バックのつまみと、2つのクーラーボックスのアルコールは、しっかり残りました。飯田線の魅力を満喫した今回の旅は大満足、そして大成功でした。
 100年前に地域の期待と、時代の開明的な変容をもって開通した飯田線は、都市と地方を結ぶ大量輸送手段として、長くその役割を果たしてきました。100年前のちょうど同じ頃、高遠町では、飯田線の伊那北駅から、高遠町に電車(電気鉄道)を引こうという大掛かりな構想が持ち上がっていました。大正10年(1921年)のことです。当時の高遠の名士たちが出資をし、官に頼らず「高遠電気鉄道」の会社を立ち上げ、さらには鉄道を走らせるための電力確保に発電所建設に着手したのです。発電所は、伊那市長谷にある現在の戸台発電所で、大正13年(1924年)に着工し、2年後の大正15年(1926年)に完成をみました。しかし、採算性の面からと、この頃から登場した自動車の普及を予見した名士たちは、戸台発電所を残し、電気鉄道の敷設を止めたのです。まさに先見の明です。炯眼です。リニア中央新幹線の走ろうとする今の時代、100年前に飯田線を引いた人たちと、さらに高遠まで延ばそうとした人たち、この壮大な偉業を振り返るとき、伊那谷の先人の地域づくりに賭ける熱い思いが伝わってきます。
 今春あたり、いかがでしょうか?飯田線に乗って豊橋あたりまで出かけてみませんか?

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