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日比谷の森と伊那の森の交感

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更新日:2022年9月27日

 東京都千代田区にある「日比谷公園小音楽堂」に、伊那北高校の女性徒14名の美しい歌声が響き渡りました。曲目はシューベルト作曲:アベマリア、ヘンデル作曲:樹木の下で、平澤ひらさわ作曲:聖なる樹の声、ブラームス作曲:間奏曲作品118-2、ドボルザーク作曲・堀内ほりうち敬三けいぞう作詞:遠き山に日は落ちて、モーツァルト作曲:アベベルムコロプス、そして天山てんざん作曲・柘植つげ伊佐夫いさお作詞:森のこえの全7曲です。ビアノ伴奏は伊那北高校OGのピアニスト平澤真希さん、バリトン歌手の高橋たかはし正典まさのりさん、2022年6月5日、夏の雲が浮かび、セミの声が静かに聞こえる午後のことです。

 日比谷音楽祭は2019年に始まった、日本最大級の音楽フェスティバルで、日本のトップアーティストが出演するイベントとして知られています。前身は日本の野外コンサートの聖地「野音やおん」の日比谷公園に始まり、多彩なアーティストが参加しています。このジャンルに疎い私が知るアーティストでは、石川さゆり、EXILEえぐざいる、ドリカムくらいですが、全部では70ほどのグループの出演がありました。数年前には、伊那市出身の奇才常田つねた君と井口いぐち君のグループ「キング・ヌー」も出演したこともあります。今年も6月3日から5日までの3日間にわたり、日比谷公園大音楽堂「YAON」や日比谷公園小音楽堂「ONGAKUDOU」など5ヶ所のステージで質の高い音楽と熱いひと夏を過ごすことができました。

 ところで、何故日本のトップアーティストの祭典に伊那市の高校生が出演できたのか?ひょっとしたら、東京や北海道や富山の高校生も「日比谷音楽祭」に応募できるのか?きっと来年は全国の高校生から出演希望が殺到するのではないか?そんな心配が出ています。なぜ伊那北高校の合唱部が「日比谷音楽祭」に出られたのか?その回答はこうです。
 「日比谷の森と伊那の森を結ぶ」、「伊那の森の歌声を日比谷の森で歌う」ことから始まりました。日比谷音楽祭のキューピットは、日比谷公園のなかにある老舗レストランの「日比谷松本楼」の小坂文乃社長です。
 松本楼の前身は銀座の食堂から始まり、初代は伊那市西箕輪中条の出身で小坂こさかこまきちと言って、小坂文乃こさかあやの社長の5代前の方のようです。駒吉の子どもが日比谷公園内に洋風レストランを開業したのが明治36年(1903年)と言いますから、今から120年近く昔のことになります。「10円カレー」のサービス、夏目漱なつめそうせき松本まつもとせいちょうなどの文豪や総理大臣経験者、森繁久彌もりしげひさやなどの名優など、時代とともに歩んできた歴史的なレストランです。特に有名なのは小坂文乃社長のもう一人の先祖にあたる梅谷庄うめやしょうきちの存在です。今の中華人民共和国の創始者であるそんぶんの起こした「辛亥しんがい革命かくめい」を財政面から支援して成功させた人物です。「君は兵を挙げよ、我は財をもって支援しえんす」の有名な言葉が残っています。今の中国があるのも日本人、梅谷庄吉がいたからこそアジア初の共和国が誕生したのです。 

 話が少しそれてしまいましたが、キーワードは「小坂文乃社長」と「伊那市西箕輪」にあります。私も父から松本楼の話は聞いてはいましたが、訪れたこともなく、ましてや系譜の方にお会いしたこともありませんでした。ところが偶然小坂文乃社長が叔父にあたる 小坂こさか けい氏と一緒に、中条にある いわい 殿でんの祭事に来たことがあります。4年ほど前の事です。文乃社長は初めてきた伊那市の風景に一瞬にして とりこになり、以来何度も伊那市を訪れています。あるとき、「伊那市50年の森林ビジョン」の一環で、ミドリナ委員会が主催する「森JOY」に参加することがありました。毎年11月初旬の晩秋に伊那市民の森で開催しているイベントです。日がな森で焚火をしたり、歌を歌ったり、絵を描いたり、キノコを探したりと参加者はともかく自由に森で、自然の挙動を感じて贅沢な時間を過ごすイベントがあります。小坂さんはその「森JOY」で聴いた伊那北高校合唱部の「森のこえ」にいたく感動し、「この子たちを日比谷の森に連れて行って歌わせたい♡♡♡」の一言から、日比谷音楽祭へ出演となったわけです。

 新型コロナ禍で東京と伊那との行き来が ままならない中、生徒たちはWebで平澤真希さん、高橋正典さん、ミドリナ委員会の柘植伊佐夫委員長とやり取りをしました。生徒の着る衣装も人物デザイナーの柘植委員長がデザインを、衣装は伊那市在住の小松純さんが伊那のサクラやヨモギなどの草木染で仕立てるなど、それぞれが惜しみない支援のなかで準備が進んでいきました。

 柘植委員長のデザインコンセプトは「合唱部のみなさんの自然に湧き出る純粋さを伊那市の草木染で表すデザインとし、音楽祭では会場のみなさんに、森のなかで過ごせる幸せ、心地よさをただただ感じてほしい」とおっしゃっています。また、草木染の染色家、小松さんのコンセプトは「日比谷の森と伊那の森をつなごう。伊那の植物で染めた衣装で、 大物アーティストと同じ空気のなかで楽しんできてほしい。緊張しても伊那の色が包んで守ってくれる」そんなみなさんの優しさで当日を迎えることができました。

 6月5日の午後1時30分、日比谷公園で最も古く歴史ある小音楽堂で始まった高校生たちのステージは、澄み渡る歌声と森の小鳥の声が、あたかも伊那の市民の森で聴いているかのような錯覚に重なりました。自然のなかの自然体、森と一体となった静寂、透明で清澄な歌声、凛とした生命の律動を感じさせる響き、とても都会の喧騒にいるとは思えない時間でした。

 松本楼という120年の歴史がつむいできた糸に、伊那の人と感性、伊那の森と日比谷の森が必然のように繋がり、日本を代表する音楽フェスティバル出演の歴史を刻むことができました。今回の「森のこえ」は、私にとっても生徒たちにとっても、まして関りをもってくれた柘植さん、小松さん、平澤さん、高橋さん、ミドリナ委員会のみなさん、何より松本楼の小坂文乃社長の開豁かいかつ鷹揚おうような人柄によって成しえた奇跡的な時間と思えるのです。

「清流」 まほら伊那市民大学 令和3年度修了記念文集 掲載

伊那市長 白鳥 孝

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