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気仙沼市の復興さくら

更新日:2017年10月2日

 伊那市長 白鳥 孝
 

 岩手県一関市で東北新幹線やまびこ49号から、宮城県気仙沼市に向かう2両編成の可愛らしいディーゼルのJR大船渡線(おおふなとせん)に乗り換えたのが午後2時57分です。進行方向に向かって左側の席に座り、東北地方の山間の集落をいくつも過ぎ、小さな流れの渓流とその脇にわずかに拓かれた田畑を眺めていました。初秋の明るい日差しと、これから刈り入れの始まる稲田とヒガンバナの鮮やかな赤と名残のヒマワリが印象的でした。四囲の山々は東北地方独特の準平原のなだらかな山容で、日本のどこでもこのようにして人々は暮らしているのだと妙な感慨に包まれたのでした。のどかな車窓からは、あの東日本大震災の傷跡はうかがい知ることはありません。終点の気仙沼駅には午後4時17分に到着し、出迎えてくれた北原浩一君と久しぶりの再会です。太平洋に近い気仙沼は、彼岸の暑い空気に拭いてもなお汗が流れてきます。
 気仙沼駅から港まで車で10分ほどでした。ほどなく北原君が、「ここまで津波が押し寄せました。」と説明してくれました。ちょうど気仙沼市役所入り口の坂道の途中です。あの日のテレビで映し出されたおぞましく恐ろしげな光景の場所でした。市街地のなかを津波が奔流しながら家々を飲み込んでいく映像の、まさにその場所でした。そして、タクシーが港に出ると、2011年3月11日午後3時半頃、気仙沼湾周辺にある重油タンクが次々と油を流しながら湾に押し寄せる、あの気仙沼港に着きました。大型の漁船は防波堤を黒い潮とともに越え、気仙沼の港と町は燃え上がり、引火した火は夜になっても黒い煙をともなってすべてを焼き尽くしてしまった、まさに壊滅状態となった港街です。
 北原君は東日本大震災の復興のために伊那市から派遣した職員です。震災発生の翌年から伊那市は、危機管理・税務・土木のエキスパートを毎年送り続け、北原君は病院総務の4人目の派遣職員として気仙沼市立病院で働いていました。派遣職員はみなさん条件の悪い、通勤にも時間のかかる宿舎で、朝早くから夜遅くまで休日も削りながら懸命に働いていました。伊那市では復興支援の業務はあまりの激務のため、派遣期間は一人6ヶ月と決めていました。しかし自らさらに半年の延長願を出した者、また被災者を置いたまま伊那に帰ることはできないとして、伊那市の職員を辞めてまで東北に残ってしまった者。またある職員からはさらにもう一年の延長願いが出たりと、被災地で人々に寄り添ってきたからこそそのような願いや判断にいきついていったのです。彼らの心理は十分に理解できたものの、伊那市の大切な職員です。北原君にはそうした厳しさを重々話したうえで、2年の期間を背負っての4人目の派遣者として気仙沼市へ行ってもらいました。
 私は一年に一回、私が行かれないときには副市長が派遣職員の慰問と激励に気仙沼市を訪れていました。彼らの暮らす宿舎は旅館を借り切っての共同生活であったり、通勤だけでも1時間もかかる遠い住宅であったり、プライバシーのある仮設住宅であっても本当に狭い申し訳ないような環境でした。北原君の暮らす仮設住宅は、気仙沼市立条南(じょうなん)中学校のグランド片隅にありました。部屋は4畳半一間、ユニット式のトイレと風呂、そして狭い台所です。近くには改修中の大川(おおかわ)がありました。「この川の左岸にはかつて180本近い大川桜並木があって、春には花見で賑わう市民憩いの場所でした。震災後、津波の塩害で枯れてしまったり、大川の堤防の嵩上げで切られてしまったりと、かつての桜並木は無くなってしまいました。」と北原君が語ってくれました。
気仙沼市立病院は小高い丘の上にありました。震災発災後の修羅場は如何ばかりだったかと思わせる様子は、地下室や廊下のそこかしこに残っていました。様々の怪我人や病人が運ばれ、停電が続くなか発電機の燃料確保に苦労しながら処置対応されたのです。安海(あづみ)病院長を表敬訪問すると、伊那市からの応援派遣について心温まる感謝の言葉をいただきました。ほんとうによくやってもらっていると。
 それから2年後の2016年3月、北原君は派遣期間を終えて伊那に帰ってきました。そしてその報告に私を訪問してくれた時のことです。一連の報告をした後、「市長、実はお願いがあります。あのぅ、門外不出のタカトオコヒガンザクラを復興支援に分けていただけないでしょうか?」と、遠慮がちに話すのです。その内実は、前述の気仙沼市民の花見の名所であった大川の桜並木が無くなってしまった。そこで、このほど建設をしている新しい気仙沼市立病院の周囲に復興支援の一環として高遠の桜を植樹したいと言うものです。新しい病院は、旧病院から2kmほど南に行った丘の上に建設されています。2017年11月の開院予定とのことで、山を削った丘にある病院は気仙沼市街地からもよく見えるところにあります。いつの日か伊那から送った桜が、気仙沼市民の新しい名所になることを願っての申し入れだったのです。さっそく市役所の庁議(部局長会議)で検討しました。みなさんもちろん異論などなく大賛成です。ただしタカトオコヒガンザクラは手持ちが少ないので2本としてもらい、あとは高遠のシダレザクラを40本送ることになりました。シダレザクラは高遠町片倉の守屋源一さんが育てている5年生くらいの樹をいただくことになりました。守屋さんにお願いしたところ、「そんな結構な話はない。うちの畑で育った桜ならいくらでも持って行ってくれ」と嬉しい返事でした。2月の寒い時季から桜(さくら)守(もり)の西村さんや、伊那市振興公社の皆さんが根回しをしてくれて、5月に佐川急便の大型トラックで気仙沼に送りました。
 2017年5月24日、いよいよ北原君の紡いでくれた復興さくらの植樹式の記念すべき日がやってきました。伊那から直線距離で470kmも離れた気仙沼市まで車の旅です。久しぶりに気仙沼を訪れる北原君と初めて訪れる88才の守屋さん、それに桜守の西村君、総務課長の馬場君、建設課の職員の皆さん、それぞれの思いを乗せて向ったのです。
 

「清流」 まほら伊那市民大学 平成28年度修了記念文集 掲載

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