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高座岩

ページID:927991103

更新日:2014年10月1日

高座岩(こうざいわ)

 伊那市長 白鳥孝

 「高座岩」の一段と高い岩に上り、遠く伊那谷を眺めていました。高遠町芝平方面からの、初夏の風は気持ちよく、青葉や若葉をわたる習習としたなかに、先ほどまでの汗がひいていくのがわかります。風にうたれながら寄りかかった岩は、さっぱりと伐採された斜面からおよそ10mの高さにあって、大小さまざまな岩が集まった不思議な形状をした岩塊です。かつてはカラマツ、モミ、シラビソなどの高木に遮られ、ここ高座岩からは、伊那の谷も芝平の谷も望むことはできませんでした。

 さて、芝平地区出身の北原厚さんとお会いしたのは9年ほど前のことです。高座岩のことや法華道のことはその時に知りました。ある日、伊那市役所の私の部屋にひとりのお年寄りがやってきました。北原さんです。私の高校時代の同級生で、古刹遠照寺住職の松井和尚の紹介でした。北原さんは、「実は入笠山の南方向に高座岩という由緒ある岩がある。自分が小さなころは、ここから生まれ在所の芝平の谷を遠く見ることができた。しかし今は木が大きくなって望めない。木を伐らせてもらおうと関係する役所に行ってみたが駄目だった。自分はもう高齢でいつ黄泉の国にいくかしれない。ぜひ自分の願を叶えたい。白鳥さんなら何とかしてくれると聞いたのでやってきた。」おおよそこんな内容の話だった気がします。初めてお会いした方でしたが、熱い思いが伝わってきました。それから、市役所の関係職員が会議を持ち、また長野県林務部に伺い、さらには林野庁南信森林管理署へも赴き、北原さんの願いを叶えるべく奔走したのでした。その甲斐あって現地測量ができ、伐採許可がとれ、いよいよ伐採の難作業になると、嬉しいことに高遠総合支所の職員やボランティアのみなさんがたくさん集まってくれました。そして、鬱蒼として何も見えなかった高座岩から、伊那の谷が見えるようになったのです。

 そんな9年前のことを思い出しながら、高座岩の上から山室川流域と、遠く高遠の街並みや伊那の田園を眺めていました。幸せな素敵な時間です。すっかり汗もひいて、先ほど歩いてきた入笠山方面や大阿原湿原、またそこから流れ出ている「テイ沢」、そして小黒川林道から登ってきた「北原新道」の急坂な道を振り返っていました。

高座岩は不思議な岩です。地質学的にいうと、戸台層の礫岩で、中央アルプスや東駒ヶ岳よりも古い時代の花崗岩で、貝の化石も見つかっています。そして、1473年(文明5年)今から540年ほど前には、この高座岩で身延山11世日朝上人が、7日7晩説法をしたと伝えられています。身延山の高僧が高座岩でなぜ?と不思議に思われるかもしれませんが、その理由は、身延山久遠寺と伊那市高遠町三義を結ぶ「法華道」、つまり日蓮宗を伝えた仏の道が古くから高座岩付近を通っていたのです。かつては仏の道であり、物資を運ぶ命の道であり、武田の軍勢が通った戦の道でもったわけです。

 北原さんは、通る人もいない、荒れたままになっていた、この法華道を甦らせたいとの思いで、ひとりで古道復活に取り組んできました。高座岩からかつて自分が見た故郷、芝平の風景を後世に伝えたい。そんな思いから木を伐り、こつこつと道の整備をしてきたわけです。10年近く前、私の部屋に来て、「いつお迎えが来るわからない年寄りの願を聞いてくれ」と言われ、それから10年後の83才になった今でもかくしゃくと山道を歩きながら法華道のガイドをしています。

 高座岩をあとにして、御所平まで15分、ここに鎮座しているお地蔵様に手をあわせ、芝平まで続く「法華道」を、いにしえに思いを寄せながらゆっくりと下りました。明るいカラマツの人工林につづく道はかすかで、無尽に走るケモノ道に迷いながらも楽しい道です。ミズナラ、シラカバ、シデ類の広葉樹林の急坂を、「ずいぶん苦労して復活させたのだ」と、しみじみ北原さんの優しさしい思いがしのばれます。

「清流」 まほら伊那市民大学 平成23年度修了記念文集 掲載

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