保科正之公と高遠そば
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更新日:2014年10月1日
「ならぬことはならぬものです」
これは会津藩「什(じゅう)の掟(おきて)」にある言葉です。会津武士の子どもたちへの、「このようにしなければならない」という心構えとしての教えです。そして、この「什の掟」が登場するのが、2013年NHK大河ドラマ「八重(やえ)の桜(さくら)」です。八重は同志社大学の創始者・新島襄の妻として、幕末から明治・大正・昭和にかけて活躍した女性です。会津地方ではすでに「八重の桜」ブームに火がついて、観光土産店ではいくつかの八重商品や八重グッズがならび始めています。東日本大震災で甚大な被害を受け、また主要産業である観光に大きな影を落とした原発事故からの復活の起爆剤になることを願っています。「八重の桜」はきっと会津地方にとっての福音となるでしょうし、観光復活のジャンヌダルクとなることを期待しています。
平成18年、伊那市は高遠町と長谷村と合併しました。歴史文化の高遠、信州教育を支えた地としての高遠、そして3000m級の山々が連なる南アルプスと、大自然の長谷との合併はまさに理想の合併でした。そして、旧高遠町と会津若松市が友好都市の関係であったことから、合併後の伊那市と会津若松市は、引き続き友好都市の提携をしました。友好の理由(わけ)は、会津藩の藩祖として、また江戸につめながら、徳川家光や家綱を補佐し、善政をした保科正之にあります。正之は、玉川上水をつくり、社倉制度によって危機管理をし、有能な人材の損失を防ぐための殉死を禁止したり、明暦の大火ではみごとな指揮をし、消失した江戸城の天守閣復興にあたっては、庶民の生活を優先して再建させなかったりと、徳川幕府の磐石な基礎をつくりあげています。
保科正之は、徳川家2代将軍秀忠の子であり、3代将軍家光の異母兄弟で、幼少を信州高遠藩で過ごしました。7歳で保科家に養子に入り、高遠で仁政を学んだのです。そして21歳の頃に高遠藩主となり、26歳のときに出羽国(山形県)最上藩20万石大名として転封し、さらに加増され会津藩23万石の藩主として会津の地に移りました。この転封の際には、多くの家来家臣のほかにいろいろな職人も連れて行ったといわれます。民謡「会津磐梯山」に「朝寝・朝酒・朝湯が大好き」として登場する小原庄助さんも、その末裔といわれています。また、保科正之はたいそうお蕎麦が好きな殿様でした。会津藩に転封するときにも、蕎麦打ち職人も一緒に連れて行ったほどです。
会津地方といえば、私たちは鶴ヶ城・野口英世・白虎隊・磐梯山・赤べこ・会津漆塗りなどを思い浮かべることができますが、もうひとつ、会津ではお蕎麦がとても有名です。この地方の蕎麦には、一般的なそばのほかに、「高遠そば」と呼ばれる独特の蕎麦が存在しています。辛み大根の搾り汁に焼き味噌をといたつゆ、それに葱をきざんで入れて食べます。実に素朴な味わいのそばは、江戸の時代から食べられていたといわれます。高遠そばは、その名前のとおり信州高遠に由来した蕎麦で、保科正之が高遠そばの文化を会津地方に伝えたものです。
平成9年、姉妹都市の会津若松市に高遠町のみなさんが訪れたとき、かの地に「高遠そば」なる蕎麦を見つけました。いろいろ調べるにつけ、辛み大根と焼き味噌、そして葱を入れたつゆで食べる独特のそばで、その昔高遠から伝わった蕎麦だということがわかりました。しかし本家の高遠には、「高遠そば」の名前も、食べ方も忘れさられていました。「高遠そば」は食べ方も名前も昔のままに、脈々と会津地方に残っていたのです。
平成10年に本家高遠町で「高遠そば」の復活を目指して旗揚げがされました。遠い江戸の時代から受け継がれてきた会津地方の「高遠そば」は、会津の蕎麦屋さんたちの応援もあって、復活の狼煙をあげました。全国にその名を知られている会津「桐屋(きりや)」の唐橋宏さんは、「全めん協素人そば打ち段位制度認定審査員」として、また国土交通省観光庁の観光カリスマとして八面六臂の活躍をしながら、高遠そば復活の応援をしていただいています。「高遠が困っていれば、会津から職人を連れて応援に駆けつける」と、心強い言葉をかけてもらっています。
私たちは、旅に美味しい食べ物を求めます。信州に旅するならきっと「信州そば」でしょう。「おやき」、「五平餅」、「野沢菜漬」なども上位にランクされるでしょうか。「旅は食にあり」のように観光においては、その土地「らしさ」を演出しなければなりません。信州そば発祥の地といわれる高遠で、もっと美味しいそばを発信しなければなりません。地元産のそば粉を100%使用、手作り味噌に、代々受け継ぐ辛み大根、それに三峰川流域で作られる葱を使った「高遠そば」は、会津と保科正之と高遠の歴史を語りながら味わうことができます。材料はすべて地元産、打ち手も水も、何もかも高遠藩の領内でまかなっています。信州伊那は天下第一の高遠の桜と天竜川、南アルプス・中央アルプスの雄大なパノラマ、中尾歌舞伎もあれば全国春の高校伊那駅伝もあって、ローメン・ソースカツどん・ザザムシもハチの子もあるぞっと。伊那の勘太郎は少し古いけれど、なにより「究極の高遠そば」をぜひご賞味あれ。
伊那市長 白鳥 孝
寄稿 保科正之公と高遠そば.信州の東京.長野県人会連合.2012年11月15日
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