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たき火通信 其の六十九

更新日:2016年4月1日

工女さん

 今から90年近く前まで伊那の農家の少女たちは、諏訪・岡谷の製糸(せいし)工場に働き手として住み込みで行っていました。まだ10代はじめの学業も終わっていないような子どもたちも含めて、日本の製糸産業を支える貴重な労働力として雇われていったのです。伊那からばかりではありません。岐阜県の飛騨(ひだ)地方からも野麦峠(のむぎとうげ)を越えてたくさんの少女たちがやってきました。彼女たちは「工女(こうじょ)さん」と呼ばれていました。明治・大正・昭和初期にかけての信州や飛騨の農家は、大家族で現金収入の少ない貧しい家庭が普通でした。米から味噌・薪炭(しんたん)までほとんどが自給自足のなかで、諏訪や岡谷の製糸工場に行って、現金収入を得てくる少女は一家にとって貴重な存在でした。 
 まだあどけなさの残る工女たちの労働環境は劣悪に加えて過酷であったと、山本薩夫(やまもとさつお)監督の「あゝ野麦峠」の映画では描かれています。一方では朝から晩まで働きづめの、窮迫(きゅうはく)の底にあった貧農(ひんのう)の生活に比べれば、3度の食事を食べられて、風呂にも入ることができた工女は良かったとも伝えられます。当時の資料を紐解(ひもと)くと、工女たちは働きながら教養を高めるための修身(しゅうしん)や国語を学ぶ機会がありました。裁縫(さいほう)・手芸・編み物・生け花などのほかに、「片倉館」のような福利厚生の温泉施設や盆踊り大会、演芸会、運動会などの娯楽もあったようです。明治・大正・昭和の時代ですから随分と開明的(かいめいてき)であったと思います。
 映画では「ああ飛騨が見える」と言って亡くなる少女の姿が印象的でした。しかし当時を知る「工女」たちの証言を聞くと随分と異なるようです。とても大切にされたとも語り、陰険非道(いんけんひどう)な経営者像とはかけ離れています。伊那を中心に当時の諏訪・岡谷の製糸について事実を正確に伝えようとの取り組みが始まりました。報告が楽しみです。
 平成28年4月 白鳥 孝

蚕玉様(石碑)画像1
蚕玉様(こだまさま)「天」の「虫」と書いて蚕(かいこ)です。蚕の神。

      地域にはさまざまな大きさや形の蚕玉様(こだまさま)があります。

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