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たき火通信 其の百五十二

ページID:481557243

更新日:2023年4月26日

伊那を訪れた山頭火


旧権兵衛街道はこの先の坂道を下る

放浪漂泊の俳人山頭さんとうの俳句に出会って50年ほどになります。中学生だったか高校生だったのか記憶は消え落ちていますが、通町とおりちょうの小林書店で手にした山頭火の本は、多少なりとも私のその後の人生に影響を与えてきました。

山頭火の本名は種田たねだ正一しょういち、明治15年、現在の山口県防府市ほうふしに生まれました。酒造業を営む家庭に育つも、母の井戸への身投げ、父の放蕩ほうとう、弟の自殺、家業の破産、家族の離散など失望を繰り返した青少年期を過ごしています。暗く陰惨いんさんな希望のない生活の後、山頭火は出家しゅっけ得度とくどしてほとけの道を歩むことになります。全国を行乞ぎょうこつ行脚あんぎゃし、仏にすがり酒にすがり、俗世ぞくせさとりの境を行き来するような人生を繰り返していました。

っても分け入ってもあおい山」、「うしろ姿のしぐれてゆくか」、「てっぱつのなかへもあられ」、「どうしようもない私があるいている」、「まっすぐな道でさびしい」など、自由律の俳句が現在でも私たちをきつけます。

山頭火は昭和の初めに伊那を訪れています。敬慕けいぼしてやまない「井上井月いのうえせいげつ」の墓参りのため、昭和14年5月に伊那高等女学校(現・伊那いな弥生ヶ丘やよいがおか高校こうこう)の教師、前田まえだ若水じゃくすいたず美篶みすずの井月墓に行っています。「私は芭蕉や一茶のことはあまり考えない。いつも考えているのは路通ろつうせいげつのことである」、井月全集を読み終わり、「よい本だった。今までに読んでいなければならない本だった。井月の墓は好きだ。書はほんとうにうまい」と、井月に寄せる心情を吐露とろしています。念願だった井月の墓参りをし、酒好きだった井月の墓の前で、「おはかしたしくお酒をそそぐ」、「お墓でさすりつつ、はるばるまいりました」と詠んでいます。

井月の墓参りをした後、山頭火は権兵衛ごんべえとうげを越えて木曽へ出て、中央西線の汽車にのって山口に帰ります。5月5日のことです。墓参りをすませ、五月さつきれの権兵衛街道を歩く山頭火は、きっと心も晴れやかだったに違いありません。「寝ころべば信濃の空のふかいかな」と詠んでいます。権兵衛トンネル手前のお蕎麦屋そばやさんの駐車場に、この句碑がたたずんでいます。山頭火は伊那を訪れた翌年、昭和15年に57才で亡くなっています。

お問い合わせ

伊那市役所 総務部 秘書広報課 広報広聴係

電話:0265-78-4111(内線2131 2132)

ファクス:0265-74-1250

メールアドレス:his@inacity.jp

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