伊那市

たき火通信 其の五十

更新日:2014年9月16日

伊那市創造館 井月展示室

漂泊の俳人 伊那の井月(せいげつ)

 井上井月は文政5(1822)年、越後長岡藩の武家の出身と言われています。江戸で俳諧を学んだ後、30才半ばにふらりと伊那に現れました。爾来(じらい)、家も家族も持たず、生涯無一文、亡くなるまでこのスタイルのまま、俳句を詠み、書を残し、俳聖といわれる松尾芭蕉を慕って生きました。1300字にも及ぶ芭蕉の「幻住庵記(げんじゅうあんき)」などは、仔細(しさい)違わず暗記していたといわれています。住む家もなく、家族もなく、お金もなく、明治20(1887)年に66才で亡くなるまでどのようにして生きたのか、気になるところです。
 伊那谷は当時から俳句、連歌などが盛んな地域で、風流・風雅を嗜(たしな)む文化人、教養人が多い土地柄でした。漢学や古典文学に優れた井月は、上伊那各地の家々を訪ねては、俳句や連歌を教え、書を認めては、酒のもてなしを受け、食事・風呂をいただき数日間逗留(とうりゅう)していました。きっと家人の頃合を読み取っては、次の家を訪ね歩いては歓待を受けていたにちがいありません。しかし、晩年は酒好きが高じて、みすぼらしい身なりと、虱(しらみ)だらけの井月を快く受け入れてくれる家は少なくなってきました。辻(つじ)のお堂や橋の下で過ごしていた日も多かったことでしょう。冬の夜などは一層つらさが偲ばれます。
 それでも伊那人は、井月を温かく受け入れました。出自はなぞのまま、天涯孤独、酒好きで、争う事を嫌う井月にとっては、伊那は居心地のいい所でした。嬉しいときには「千両千両」が口癖だった井月は、きっと穏やかな顔で伊那谷各地を歩いていたことでしょう。この8月、伊那市では「第23回信州伊那井月俳句大会」が行われました。そして「千両千両 井月さんまつり」も盛大に開催され、全国から井月ファンが伊那に集まってきました。近年、井月への注目は急速に高まりつつあります。

平成26年9月 白鳥 孝

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