たき火通信 其の八十七
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更新日:2017年10月1日
中村弥六(なかむらやろく)とユリノキ
信州大学農学部の正門からは、歴史を感じさせるユリノキ並木が大学構内へと続いています。長野県の景観100選にも選ばれていて、春夏秋冬、私たちにさまざまな表情を見せてくれます。このユリノキは昭和30(1955)年前後に植えられたようですから、もう60年以上の年輪を刻んでいるわけです。原産地は北アメリカ東部、気温の寒暖にも強い樹種で、すっかり地域の名所になっています。
高遠町東高遠の峰山寺(ほうざんじ)には、さらに古くて大きなユリノキが2本あることをご存知でしょうか?樹齢100年以上、樹高35メートル、日本の「近代林学の父」と呼ばれる中村弥六が、大正元(1912)年頃に植えたといわれるユリノキです。ユリノキのほかにドイツトウヒ、ヨーロッパクロマツ、ストローブマツ、リキダマツ、ヒマラヤスギなど馴染(なじ)みの薄い樹種も植えられました。コナラ、ヒノキ、カラマツ、カヤ、トウヒなどの国産の樹木もあります。ここは「進徳の森(しんとくのもり)」と名付けられました。
中村弥六は安政元(1854)年生まれ、高遠藩の藩校「進徳館」を創設した中村元起(なかむらげんき)の四男です。東京大学の前身の東京開成学校でドイツ語を修め、林学を学ぶためにドイツに渡り、林政学、林学などドイツの近代林学を学んで帰国しています。明治15(1882)年のことです。その後中村弥六は日本で初となる林学博士の学位を授与されています。日本で第1号の林学博士は、伊那市高遠町から出ているのです。
峰山寺の裏山に広がる「進徳の森」のなかには、いろいろな樹種に囲まれて中村弥六の墓が建っています。森のなかにいるとわかりませんが、寺の境内から仰ぐと、あの2本のユリノキが、これがユリノキかと見紛(みまが)うほどの風格で天を突いています。100年経った木肌はゴツゴツと皺(しわ)を深く刻んでいます。東高遠の高台から静かにずっと私たちを見守ってきてくれたかのように思えます。
平成29年10月 白鳥 孝
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