たき火通信 其の百五十
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更新日:2023年2月21日
寒晒蕎麦の始まりも高遠藩
極寒の粟沢での作業
「信州そば発祥の地 伊那」は、広く全国に知れ渡りました。あらましの来歴は、10年ほど前の伊那市議会一般質問に及びます。今では議員を辞して、高遠そばの普及と品質の向上に尽力し、栽培方法や高遠そばの歴史などを研究している蕎麦学の泰斗、I氏とのやり取りから始まりました。「信州そば発祥の地は伊那であると、全国発信しては如何か?」、「保科正之公が無類のそば好きで、最上藩・会津藩への転封の際にも、そば職人を伴って行った」など、一再ならず繰り返し一般質問で取り上げられました。私も調べてみると、奈良時代の「修験道の祖・役小角が世話になった伊那市内の萱の村人に、一握りのそばの種を置いていった」とか、「織田の軍勢に高遠城が落とされた天正10年(1582年)に百姓たちがそばを献上した」などの話を聞くに至りました。全国のそば研究者を尋ね歩き、やはり「信州そば発祥の地は伊那」であると確証を得たわけです。
また、高遠藩は江戸時代、「暑中信州寒晒蕎麦」を将軍家に贈っていました。享保7年(1722年)徳川家八代将軍吉宗の時代です。ちょうど今から300年ほど前のことです。「寒晒蕎麦」は飛雪が舞う小寒の日に玄そばを渓流に漬け、立春に引き上げて寒風に晒す製法です。極寒で晴天率が高く、乾燥した気候だからこそできた蕎麦と言えます。これによりそばの風味や食感が増し夏でも美味しく食べることができたのです。
将軍家に「蕎麦」を献上していた藩は、高遠藩・羽州天童藩・上州舘林藩・上州小幡藩など9藩がありました。なかでも「寒晒蕎麦」として献上していたのは、「暑中信州寒晒蕎麦」の高遠藩と、「暑中寒瀑蕎麦」の諏訪高島藩の2藩のみでした。高遠藩が将軍家に献上を始めたのが享保7年(1722年)で、高島藩が寛政元年(1789年)ですから、高遠が67年早いわけです。やはり「寒晒蕎麦」は高遠藩が発祥の地と言えるわけです。
「武鑑」と言われる文献には、高遠内藤藩の将軍家への献上品は「暑中信州寒晒蕎麦」の他に「芽独活」(春先のヤマウド)、「松茸」、「岩茸」があります。「信州そば発祥の地 伊那」、「寒晒蕎麦」の始まりも高遠。夏になったらぜひ「暑中信州寒晒蕎麦」をご賞味あれ!
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