たき火通信 其の百十六
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更新日:2020年3月26日
昭和の東京オリンピック
56年前のすばらしいデザイン
まさに清秋、どこまでも青い空、昭和39年(1964年)10月10日の国立競技場の情景はおぼろげながらも覚えています。聖火から棚引く煙のトーチを右手に、若者が長い階段を駆け上がり、聖火台に点火する姿は、小学生の私にとっては躍動と憧憬の光景でした。
トランペットの「東京オリンピック・ファンファーレ」が高らかに流れると、静寂を突き破るかのような世界に一変し、続く古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」とともに、アナウンサーの「いよいよ選手団の入場であります。ギリシャを先頭に94ヶ国、7,065人の選手たちが・・・」、そして殿の日本選手団が現れると、「いよいよ最後、日本選手団の入場であります。堂々と胸を張って日本の若者たち、アジアで初めて開かれるオリンピック東京大会・・・」と名調子のアナウンスが流れ、競技場は興奮と歓喜と高揚感の坩堝に変わりました。
無数の鳩と色とりどりの風船が青空に吸い込まれ、ブルーインパルスの飛行編隊の作る五輪のマークも印象的でした。でも鮮烈に残るのは、やはり「東京オリンピック・ファンファーレ」と「オリンピック・マーチ」の身震いするような旋律と日本選手たちの行進の雄姿です。女子バレーボールの金メダル、マラソンの円谷幸吉と裸足のアベベの姿、柔道のヘーシンク、三波春夫の「東京音頭」、日の丸と五輪マークの入った「オリンピックポスター」もありました。昭和の東京オリンピックは、国立競技場に響き渡る曲と行進の喧騒がしっかりと耳底に残っています。
56年たった今も昭和の東京オリンピックは色褪せず、それぞれのシーンが心の耳朶に蘇るたびに、「今夏の東京オリンピック2020は、東日本大震災の復興オリンピックとは言うものの、今の若者たちに、オリンピックと復興と言う言葉がどう結びつくのか?」果たして「東京オリンピック2020」が、50年先にも記憶に残っているのか、いささかわくわく感の薄いオリンピックになってしまわないかと心配しています。
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