たき火通信 其の百七十三
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更新日:2025年1月21日
信仰の道 法華道
ありし日の北原翁と松井和尚
市役所に収入役として入った20年ほど前、一人のお年寄りが訪ねてきました。「入笠山の南の方に、高座岩と言う由緒ある岩があって、そこからはわしの生まれた芝平の谷や、遠く伊那の街が見えた。それが、周囲の樹が大きくなって今は何も見えない」と切り出して、「何とか、わしが昔見たような景色を、もう一度見たいので手を貸してほしい」というものでした。そして「わしももう年だし、先はそんなに長くない。年寄りを助けると思ってぜひ頼む」と、なるほど随分と年を取り、声も弱々しい感じのお年寄りに見受けられます。ここは一肌脱がねばなるまいと決め、それから長野県林務部や南信森林管理署に掛け合い、許可を得てカラマツ・トウヒ・モミなどを伐採し、高座岩から芝平集落や伊那の美しい景色が見えるようになりました。
このお年寄りの名前は北原厚さん(故人)。室町時代から使われていた「法華道」を、たった一人で10年以上をかけて復活した人です。山梨県身延山から、長野県富士見町を通り、入笠山の南を辿り、御所平峠から伊那谷に至る道が「法華道」で、日蓮宗の布教のための道であり、戦国時代には武田信玄の軍勢が通り、また信州と甲斐を結ぶ物資輸送の重要な道でした。この道は戦国、江戸、明治、大正、昭和30年代まで使われていましたが、その後車社会の出現とともに使われなくなって、歴史からも消えていきました。北原さんは一人で、生い茂るクマザサを刈りはらい、往時の信仰の道、仏の道を復活させたのです。私の所に来た頃は、信念と信仰心の篤い73才で、とても老い先短い老人ではなかったはずですが、私はまんまと名演技にはまったのでした。
日朝上人が1473年(文明5年)、七日七晩説法をしたと言われる高座岩で、北原さん念願の法要が営まれました。日蓮宗の遠照寺の住職を伴い、高座岩の上でお経を唱え、厳かな時間を過ごしました。和尚の透き通るような声が、秋の谷に響き渡りました。
「法華道」には、龍立場、御所ヶ池、御所平、脛巾あて、厩の平、山椒小屋などの地名が今でも残り、沿線にはいくつもの石仏も残っています。悠久の時を感じながら歩くことをおすすめします。
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